【名词&注释】
政治家(politician)、背景音乐(background music)
[单选题]彼は政治家として信頼()足る人物だ。
A. が
B. を
C. に
D. で
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[单选题]苦難に満ちたあの人の人生は、涙なくしては()。
A. 語る
B. 語らない
C. 語れる
D. 語れない
[单选题]残り時間あと2分。もう絶対に負けたと()、最後の最後で逆転した。
A. 思おうにも
B. 思いきや
C. 思ったにせよ
D. 思わずには
[单选题]当たり前のことをしただけです。お礼には()よ。
A. ありません
B. いりません
C. およびません
D. かまいません
[单选题]()の自由が保障されているからと言って、何でも報道していいわけではない。
A. 弁論
B. 世論
C. 言論
D. 理論
[单选题](週末()をしますか。~友達と映画を見ます。)
A. なに
B. どこ
C. だれ
[单选题]()、みんなで協力し合って解決できれば、それでいいのだ。
A. 何もあっても
B. 何がなかったら
C. 何があっても
D. 何がなくても
[单选题]満員電車を降りようとするときなど、つい習慣で言ってしまう。「すみません、降ります」。この場合、「降ります」よりも、前の「すみません」に重点があることは言うまでもない。人の込み合うところで誰かと肩が触れれば、「すみません」。レジで細かい金の持ち合わせがなく、1万円札で払うことになれば、「(ア)」。あるとき、いつものように、「すみません」と連発しながら電車を降りようとしていたら、男友達から、「どうして謝るんだ」と、大声でしかりつけられた。停車駅で降りるという当然の行為に対して、なぜ周囲に遠慮しなければならないのか、とかれは言う。一言「降ります」と言えばいい。周囲は場所をあけるのが当然だ。当たり前である。だが、ふだんわれわれがいつも言うこの「すみません」は、自分の非を認める意味で使う謝罪とは明らかに違っている。たとえば、車内で席を譲ってもらった場合、正確には「(イ)」だが、「すみません」だって、別に間違いじゃない。手紙の終わりに「乱筆お許しください」と書き添えるような、そんな感覚である。一種の符号のようなものだが、そのおかげで雰囲気が柔らかくなれる。落し物を拾ってあげてお礼を言われるのは嬉しいが、「すみません」だっていいじゃないか。文中の「つい習慣で言ってしまう」のはどれか()。
A. すみません、降ります
B. すみません
C. 降ります
D. ありがとう
[单选题]外出時、一番疲れるのは体のどの部分かと問われれば、それは日本の場合、間違いなく耳である。車や工事の音なら仕方ないとも思えるが、我慢できないのは一方的に浴びせられる音楽である。最寄りの駅に着くまでにも、商店街全体に設置されたスピーカーから流している曲、各商店やファーストフード(快餐)店等が店の外に向けて流している曲を最低5,6曲は聞かされる。しかもそれらは混ざり合って、全くわけがわからない。商店主は音楽を流すと客が寄ってくると信じているようだ。JRに乗れば各駅を発車するたびに流される珍妙な音楽。しかも音質が悪くてスピーカーが割れそうな音がしている。昔の発車ベルの方が(ア)。かえってあの無機的な音のほうが音楽よりも耳障り(刺耳)ではなかった。しかも最近、駅のコンコース(大厅)にBGM(背景音乐)を流しているところもあり、この先、電車の中にも音楽を流そうなんてことにならぬよう、祈るような気持ちである。ちょっと腹ごしらえと飲食店に入れば、ここでもBGMが。ボリュームが大きければ大きいほど客の話し声も大きくなるので、若者向きの店では客同士がほとんど怒鳴り合っている。こんな状況の後音楽会に行ったとしても、耳はすでに「使用済み」のようなもの。特に微小なピアニッシモ(弱音)を味わうのはほとんど無理と言ってよい。ある公立ホールのアドバイザーをした時、最寄り駅の「発車音楽」を含むすべてのスピーカー使用をやめてもらうこと、駅からホールまでの商店の店外に設置されたスピーカーの撤去、付近の飲食店でのBGMストップ要請(要求)を提案したが、ダメだった。ホールという「点」だけでなく周辺の環境まで考えてはじめて「文化都市」づくりができると思ったのだが。「商店主は音楽を流すと客が寄ってくると信じているようだ」には、筆者のどのような気持ちが込められているか()
A. 店で音楽を流せば客がたくさん来るというのは正しい。
B. 音楽を流しても客が寄ってくるわけではない。
C. 商店主はどんな音楽を流せばいいか、よく考えなければならない。
D. 音楽を流せばどんどん客が寄ってくるという時代はもう終わってしまった。
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